投資本の雑な感想:追われる国の経済学

これまでのマクロ経済学が前提としていたのは経済状況の半分に過ぎず、現在数多く発生している状況を理解するには「マクロ経済学の残り半分」が必要、という趣旨の本です。この「残り半分」はいかにして、どういう条件で発生し、それが現実の経済的事象にどう当てはまってきたのかを1930年の大恐慌から2018年のトランプ現象に至るまで、様々な経済イベントを通して明らかにしていきます。

第1章 マクロ経済学の“残り半分”へようこそ
第2章 バランスシート問題が引き起こした借り手不足
第3章 借り手を萎縮させる投資機会不足
第4章 被追国のマクロ経済政策
第5章 先進国から落ちこぼれないために
第6章 ヘリコプター・マネーと量的緩和の罠
第7章 1930年代の過ちを繰り返す欧州
第8章 銀行問題とマクロ経済の残り半分
第9章 トランプ現象、そして自由な資本移動と自由な貿易の衝突
第10章 経済学の再考

この本を読んで強く感じたのは「十分に知っているはずの個々の経済事象を、こんなにシンプルな論理で一貫して繋ぎ合わせることができるのか」という驚きです。もしかしたら本書に紹介されていないデータに説明できないものがあるのかもしれませんが、本書に記されたデータは十分説得力があり、語り口も非常にエキサイティングです。

マクロ経済学の残り半分

では「マクロ経済学の残り半分」とは一体なんでしょうか?まずは、経済の状態を以下のように貸し手・借り手の有無によって四象限に分けます。

借り手の有無(資金需要)
ありなし
貸し手の有無
(資金供給)
ありケース1ケース3
なしケース2ケース4

ケース1と2がこれまでのマクロ経済学の範疇です。そして本書は、これまでの金融政策や財政政策等の経済政策では、基本的に借り手が存在する世界しか考慮していないと主張しています。そして、借り手が存在しないケース3と4が「マクロ経済学の残り半分」というわけです。非常に簡単ですね。それぞれのケースについて、経済・金利の状況と、有効な対策を整理してみましょう。

経済や金利の状況有効な対策
ケース1経済:理想状態
金利:通常金利
金利の微調整
ケース2経済:銀行の不良債権、インフレ高進
金利:政策金利より高い金利
金融緩和
ケース3経済:BS不況や投資機会不足
金利:超低金利
財政出動
構造改革
ケース4経済:ケース3+金融危機
金利:高格付のみ超低金利
貸し手への資本注入

表だけではわかりづらいので、馴染み深い従来のマクロ経済学の世界である、ケース1と2から順に見ていきます。

従来マクロ経済学の世界

ケース1は言わば理想的な経済状態で、金利の微調整のみでインフレや資金需給を調整でき、景気の維持が可能です。そしてこの状態から、インフレ高進による政策金利の引き上げや、不良債権問題による銀行からの貸し渋り等が起きると、ケース2の状態へ移行します。この場合でも、基本的には金利調整によってケース1に戻すことができます。確かに馴染み深いマクロ経済学の世界です。

ここで気をつけないといけないのは、左側の世界のネックは基本的に貸し手側にあり、不況時に政府が財政出動を行う場合も民間の借り手と資金の取り合いが起こる(クラウディングアウト)ため、財政政策の効果が非常に薄いということ。このため、伝統的なマクロ経済学の世界ではとにかく財政出動が忌み嫌われるそうです。

借り手の消失した世界:残り半分

次に「残り半分」、借り手の消失した世界です。ケース3は、1990年以降の日本や、2008年以降の米国・欧州が、ケース4は1997年付近の金融機関が破綻した日本、金融危機さなかの米国欧州が当てはまります。右側の世界に移行する主な要因は2つ、1つはリチャード・クーのこれまでの著作で示されてきたバランスシート不況、そしてもう1つはこの本の主題である、追われる国へ転落したことによる国内投資機会の消失です。

原因1:バランスシート不況

バランスシート不況は、バブル崩壊によって民間部門のバランスシートが大きく毀損した結果、民間部門がバランスシートの修復が終わるまで、超低金利に目もくれず、ひたすら借り入れの返済に励むことにより、デレバレッジが発生してスパイラル的にGDPが失われる現象です。日本に住んで多少なりとも経済を齧っている人なら、これで十分理解できるでしょう…。

こうなってしまうと、どれだけ金利を下げてマネタリーベースを増やしたとしても民間の借り入れはまったく増えないため、誰かが余剰資金を吸収して実体経済に戻さない限り、どんどんマネーサプライが収縮し、GDPが減っていくことになります。

では誰が余剰資金を吸収するのか?民間が貯蓄超過なのであれば、残るは政府部門しかありません。民間部門がバランスシートの修復を終え、負債のトラウマから脱却して資金を借り始めるまでの長い長い間、政府が財政出動して最後の借り手として振る舞う必要があります。日本の巨額の財政赤字はこうして生まれました。

政府が最後の借り手を引き受けず、GDPの収縮が実際に発生したのが、1996年以降日本で断続的に発生した財政再建への回帰と、世界金融危機以降の欧州です。日本は比較的早期から財政出動していたため、断続的な中断はあったものの、総体的には比較的GDPを維持できています。しかし、EUは政府がバランスシート不況について理解していなかったこと、またマーストリヒト条約の制限から財政出動がGDPの3%以内に限られてしまったこと、通貨を同じくし、かつ域内の資本異動が自由であったことから、まともに財政政策を機能させることができなかったことから、その影響は今も続いています。

原因2:追われる国への転落

2つめの要因は、この本の主題である追われる国への転落による国内投資機会の消失です。これも、日本で長く住んできた人は良く理解していることでしょう。円高と新興国の台頭により、製造業が尽く国外に移転し、国内雇用が失われ、国内での投資も激減してしまいます。民間企業は基本的に資本収益率を最大化するプレッシャーに晒されているので、多少の耐性はあっても最終的には海外投資へ向かってしまいます。

日本ではBS不況と追われる国への転落が複合的に発生し、ケース4へ至った

日本でこれが顕在化したのは、2000年前後くらいからでしょうか。氷河期世代は、バランスシート不況、財政再建による最後の借り手の消失が引き起こすGDPのスパイラル的減少、これに金融危機が重なってケース4へと至り、さらに追われる国に転落したことによる国内投資機会の消失も重なる、という四重苦が引き起こした未曾有の経済災害だったというわけです。

追われる国へと転落した場合、主に製造業労働者の賃金(結局はその他非熟練産業の賃金も)は、追う側の国の賃金が十分に上昇するまでの間、ほとんど上がらなくなります。ここから抜け出し、民間部門が国内で資金調達するようになるには、構造改革により資本収益率を海外以上に高める必要がありますが、その効果が出るまでには10年以上かかることが多いです。アメリカは1970年以降、日本からの追撃を受けて後に急速に社会構造を変化させましたが、その効果は1985年以降にハイテク産業を奪還する形で花開きます。

それまでの間は、政府が財政出動でGDPを下支えするか、デフレによって生産コストを追う側に対抗できるレベルまで引き下げるしかありません。今までのところ日本で起きているのは、主にこちらですね。産業空洞化という話をあまり聞かなくなり、観光産業で潤うようになったのはひとえにデフレと財政赤字のおかげです。

右半分の世界が存在する証拠は?

民間部門の貯蓄超過とGDPのスパイラル減少の関係については、本書内で様々な国を題材に示されています。バブル崩壊をきっかけに民間が貯蓄超過となり、政府部門の資金不足・債務増加の有無でGDPの推移が大きく変わる様子が見てとれます。データだけで因果関係を示すことができるわけではありませんが、これまでの議論と合わせると説得力は高いと感じます。

経済の発展段階とグローバル経済

追われる国への転落自体も興味深い経済イベントではありますが、工業化以後、追われる経済へ至る道程を以下の3段階に分けることで、様々な経済事象が理解できるようになります。

都市化の時代農村から都市への人口流入が続き、労働者の賃金は上がらず、資本家が潤い、格差が拡大する時代。ルイスの転換点を経て黄金時代へ
黄金時代都市化が完了した結果、労働力が希少となって交渉力が増大し、賃金が増えて格差が縮小するとともに資本家も潤う時代。
追われる時代新興国が高い資本収益率で製造業に参画し、製造業が海外移転するとともに労働者の賃金が頭打ち〜低下し、格差が再び拡大に向かう時代。

ここでは主に製造業について述べていることに注意が必要です。なぜなら、製造業は労働者に要するスキルが単純なため、製造業が国内で繁栄している間は国民全体で広くその利益を享受できるためです。

黄金時代は二度と戻ってはこない

逆に言えば、追われる時代以降に非製造業が国内で成功したとしても、黄金時代のように全員が豊かになれる時代は戻ってこない、ということです。アメリカがハイテク分野を日本から奪還した後も、製造業の雇用はアメリカ国内に戻ってきていないことからも良くわかるでしょう。

アメリカのグローバルハイテク企業はファブレス化・ソフトウェア産業化し、製造はほぼ新興国で行われているため、彼らが未曾有の成功を享受する一方でアメリカ国内の製造業従事者はさして増えず、待遇も向上していません。ハイテク覇権を奪還し、経済的に成功しているにも関わらず、結局トランプが大統領となってしまった背景には、こうした事情があります

日本でも社会構造の改革は少しずつ進んではいますが、まったくもってアメリカには及びません。これが花開くことがあれば、GDPは上昇に転じ、経済全体としては再び成長を始めるかもしれませんが、その頃には中流層は完全に崩壊し、酷い格差が発生しているでしょう。その結果、日本でもポピュリズム的政党が台頭するかもしれませんね。花開かなければ、デフレによって先進国から脱落し、追う側の立場にまで引き戻されることになるのでしょう。

グローバル化が歴史を巻き戻す

ルイスの転換点は、都市化の時代と黄金時代の間に位置する経済イベントで、農村からの安価な労働力の流入が枯渇する地点を指します。興味深いのは、グローバル化が進展し、国境を超えて労働力が自由に移動するようになった結果、一度はルイスの転換点を過ぎて黄金時代を迎えた経済が、再びルイスの転換点以前まで引き戻されたようにも見えるということです。

これは特にEU域内で顕著です。旧東欧圏がEUに参加したことで、経済段階の異なる国同士で自由に労働力が行き来できるようになった結果、西欧先進諸国では再び安価な労働力を無制限に調達できるようになりました。これでは、非熟練労働者の所得が伸びるはずはありません。日本でなし崩し的に移民を増やしているのも似たような状況を生んでいるのかもしれません。

それから…

おおよそこうしたあたりが本書の要点ですが、以後、こうして手にした新たなレンズを使って世界中の経済事象を覗き、レンズの正しさを検証しながら問題を見極め、(実現可能性はともかくとして)処方箋を書いていくのが本書の流れです。個人的に印象に残っているトピックは次のようなものです。

  • 巨額の経常収支不均衡が生まれるのはなぜか
  • EUのバランスシート不況が非常に長引いているのはなぜか
  • トランプが貿易収支の不均衡にあれほどこだわるのはなぜか
  • 戦後の自由貿易体制の問題は何か、この体制は維持可能なのか
  • 「寛大なアメリカ」のない世界で経済はどう調整されるか
  • QEにはなぜ効果がなかったのか、その副作用は何か

この世の謎を暴いていくようで非常にエキサイティングな本なので、ぜひ一読をおすすめします。

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