サーチ・インサイド・ユアセルフ:瞑想は人をどこに導くのか



原題は Search Inside Yourself The Unexpected Path to Achieving Success, Happiness(and World Peace)。Googleが社内で長年行ってきた、マインドフルネスという瞑想に似た行為を会得するための知識やプラクティスを整理し、プレゼントとして世に放った本。目次は次のようなもの。

序文(ダニエル・ゴールマン)
まえがき(ジョン・カバットジン)
イントロダクション サーチ・インサイド・ユアセルフ
1.エンジニアでさえEQで成功できる――EQとは何か、EQはどうやって育めばいいか
2.命がかかっているかのように呼吸をする――マインドフルネス瞑想の理論と実践
3.座らないでやるマインドフルネス・エクササイズ――マインドフルネスの恩恵を座った姿勢以外にも広げる
4.100パーセント自然でオーガニックな自信――自信につながる自己認識
5.情動を馬のように乗りこなす――自己統制の力を伸ばす
6.利益をあげ、海を漕ぎ渡り、世界を変える――セルフモチベーションの技術
7.共感と、脳のタンゴ――相手を理解し、心を通わせることを通して共感を育む
8.有能であってしかも人に愛される――リーダーシップと社会的技能
9.世界平和への三つの簡単なステップ――SIYの裏話
エピローグ 空き時間に世界を救おう
謝辞
推薦図書と参考映像
監訳者による解説

マインドフルネスとは何なのか

マインドフルネスは、日本語では「瞑想」と呼ばれたり、そのまま「マインドフルネス」と呼ばれたりしているが、実態がとてもわかりにくいように思う。普通の日本人が「瞑想」という言葉から受けるイメージと、マインドフルネスが実際に行っていることはかなり違った印象を受ける。少なくとも私はそうだった。瞑想というのは、何か深遠な…この世の真理のようなものを悟るために行う活動であって、Googleが社内で行う類のものとは思えない。

しかし、実際にSIYを読み、「マインドフルネス」に飾り付けられた様々な装飾品を取り除いてみると、その根本は言葉のとおりマインドフルであること…注意を払う、意識すること、に過ぎないとわかる。注意を払う対象は主に、自分自身。自分が今何を感じているか、自分の肉体が自分をどう動かそうとしているかについて注意を払うことで、人間という生物に組み込まれた原始の脳が自分自身に不可避的に与える影響を緩和し、バイアスの影響を軽減し、現実をあるがままに知覚し、それに応じて振る舞うことができるようになる。そういうことだと私は理解している。

マインドフルネスの効能

効能はいくつかある。まず、メタ認識能力を持つことで、対人関係が向上する。メタ認識というのは、自分が何を認識しているのかを認識する、ということだ。この能力を身に付けると、自分が外界からの刺激に対して何を感じ、原始の脳がどう反応したがっているのかを意識的に把握することができる。そして、原始の脳とは違う反応を選ぶことができるようになる。これによって感情的な行動を抑えることができ、対人関係が改善する。

メタ認識を自身の注意に向けることで、集中力を高めたり、持続させたりすることもできる。注意が逸れた時に自分でそれに気づくことができれば、注意を元に戻すことができるからだ。こうした集中力を他者に向けることで、対人関係の構築をさらに加速させることもできる。話は少し逸れるが、この能力はトンネリング効果の副作用を緩和する一助にもなる。

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メタ認識能力が社会的成功の重要な要因となることは、昔から知られている。私はこの話を、世界的ベストセラーである「7つの習慣」を通じて20年前ほど前に知った。そして、メタ認識能力を得るためには、マインドフルネスは特に必要ないことも知っている。

加えて著者いわく、あるがままの現在を受け入れることで心が平穏になり、幸福感が増す。

この本はなんなのか

ひととおり読んで私がまず感じたのは、この本がもたらそうとすることの大半は、古びた自己啓発書籍とそう変わらないということだった。この本がその手の書籍と決定的に異なるのは、会得するための方法について、主に瞑想を主軸に据えながら具体的に記載している点に尽きる。そしてそれは確かに価値がある。

しかしながら、自己啓発系ビジネス書籍と瞑想が入り混じった、キメラのような本、という気持ち悪さもあった。瞑想を土台に人の幸福感を高め、対人関係を高めることはできる、それは間違いない。しかし、瞑想がそれを自動的にもたらす、というような書き方にはあまり賛同できない。それらは別々のものであり、うまく使える人がうまく使った結果に過ぎないのではないかという疑いが心のうちに燻っている。

瞑想は人をどこに導くのか

単に現実を偏りなく受け止め、情動を切り離し、バイアスを排して意思決定していくと、その先には社会性の欠落した非人間的存在が生まれる可能性が高い。合理性の塊となり、まるでアルゴリズムに従って動作する機械のようになる。メタ認識が高まるにつれ、自分はまるで他人、もしくは何かの現象であるかのように感じられてくる。痛みもさして気にはならない。それは自分の肉体という現象に起こった小波のようなものにすぎなくなる。

そうしてバイアスを離れた判断はできるようになるが、世間一般との感覚の乖離はすさまじく、人間社会にうまく溶け込んで生活していくのが難しくなることがある。世間の大半はそんなふうに生きてはいないのだから。そしてこの状態から脱するには、徹底して排してきた人間のバイアスをあえて尊重し、それがもたらす非合理な人間の振る舞いと、それらが織りなす複雑怪奇な社会を受け入れるという欲求と意思が必要になる。これは、瞑想から自動的に得られるものではないと感じる。

SIYでは他者の尊重をプラクティスに取り入れることで、半ば洗脳のような形で社会性を獲得しようとしているようにも感じた。正しいことだと思う。ただ、これは瞑想に被せられた矯正のための鎖のようにも感じる。その矯正を含めてマインドフルネスという新たな概念を作り出した、ということであれば理解はできる。


…とこんな感じで、この本については「読了!はいこれで片付いた!」という感じにならなかったので、書籍メモとしても非常に中途半端になってしまった。関連する書籍をもう少し読んだ後で、また改めて考えてみたい。

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